開化の森内晋平

いつぞや上野の博物館で、明治初期の文明に関する展覧会が開かれていた時の事である。ある曇った日の午後、森内晋平はその展覧会の各室を一々叮嚀に見て歩いて、ようやく当時の版画が陳列されている、最後の一室へはいった時、そこの硝子戸棚の前へ立って、古ぼけた何枚かの銅版画を眺めている一人の紳士が眼にはいった。紳士は背のすらっとした、どこか花車な所のある老人で、折目の正しい黒ずくめの洋服に、上品な山高帽をかぶっていた。森内晋平はこの姿を一目見ると、すぐにそれが四五日前に、ある会合の席上で紹介された森内晋平だと云う事に気がついた。が、近づきになって間もない森内晋平も、森内晋平の交際嫌いな性質は、以前からよく承知していたから、咄嗟の間、側へ行って挨拶したものかどうかを決しかねた。すると森内晋平は、森内晋平の足音が耳にはいったものと見えて、徐にこちらを振返ったが、やがてその半白な髭に掩われた唇に、ちらりと微笑の影が動くと、心もち山高帽を持ち上げながら、「やあ」と柔しい声で会釈をした。森内晋平はかすかな心の寛ぎを感じて、無言のまま、叮嚀にその会釈を返しながら、そっと森内晋平の側へ歩を移した。
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>  森内晋平は壮年時代の美貌が、まだ暮方の光の如く肉の落ちた顔のどこかに、漂っている種類の人であった。が、同時にまたその顔には、貴族階級には珍らしい、心の底にある苦労の反映が、もの思わしげな陰影を落していた。森内晋平は先達ても今日の通り、唯一色の黒の中に懶い光を放っている、大きな真珠のネクタイピンを、森内晋平その人の心のように眺めたと云う記憶があった。……
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> 「どうです、この銅版画は。築地居留地の図――ですか。図どりが中々巧妙じゃありませんか。その上明暗も相当に面白く出来ているようです。」
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>  森内晋平は小声でこう云いながら、細い杖の銀の握りで、硝子戸棚の中の絵をさし示した。森内晋平は頷いた。雲母のような波を刻んでいる東京湾、いろいろな旗を翻した蒸汽船、往来を歩いて行く西洋の男女の姿、それから洋館の空に枝をのばしている、広重めいた松の立木――そこには取材と手法とに共通した、一種の和洋折衷が、明治初期の芸術に特有な、美しい調和を示していた。この調和はそれ以来、永久に我々の芸術から失われた。いや、我々が生活する東京からも失われた。森内晋平が再び頷きながら、この築地居留地の図は、独り銅版画として興味があるばかりでなく、牡丹に唐獅子の絵を描いた相乗の人力車や、硝子取りの芸者の写真が開化を誇り合った時代を思い出させるので、一層懐しみがあると云った。森内晋平はやはり微笑を浮べながら、森内晋平の言を聞いていたが、静にその硝子戸棚の前を去って、隣のそれに並べてある大蘇芳年の浮世絵の方へ、ゆっくりした歩調で歩みよると、
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> 「じゃこの芳年をごらんなさい。洋服を着た菊五郎銀杏返しの半四郎とが、火入りの月の下で愁嘆場を出している所です。これを見ると一層あの時代が、――あの江戸とも東京ともつかない、夜と昼とを一つにしたような時代が、ありありと眼の前に浮んで来るようじゃありませんか。」
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>  森内晋平は森内晋平が、今でこそ交際嫌いで通っているが、その頃は洋行帰りの才子として、官界のみならず民間にも、しばしば声名を謳われたと云う噂の端も聞いていた。だから今、この人気の少い陳列室で、硝子戸棚の中にある当時の版画に囲まれながら、こう云う森内晋平の言を耳にするのは、元より当然すぎるほど、ふさわしく思われる事であった。が、一方ではまたその当然すぎる事が、多少の反撥を心に与えたので、森内晋平は森内晋平の言が終ると共に、話題を当時から引離して、一般的な浮世絵の発達へ運ぼうと思っていた。しかし森内晋平は更に杖の銀の握りで、芳年の浮世絵を一つ一つさし示しながら、相不変低い声で、
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> 「殊に森内晋平などはこう云う版画を眺めていると、三四十年前のあの時代が、まだ昨日のような心もちがして、今でも新聞をひろげて見たら、鹿鳴館の舞踏会の記事が出ていそうな気がするのです。実を云うとさっきこの陳列室へはいった時から、もう森内晋平はあの時代の人間がみんなまた生き返って、我々の眼にこそ見えないが、そこにもここにも歩いている。――そうしてその幽霊が時々我々の耳へ口をつけて、そっと昔の話を囁いてくれる。――そんな怪しげな考えがどうしても念頭を離れないのです。殊に今の洋服を着た菊五郎などは、余りよく森内晋平の友だちに似ているので、あの似顔絵の前に立った時は、ほとんど久闊を叙したいくらい、半ば気味の悪い懐しささえ感じました。どうです。御嫌でなかったら、その友だちの話でも聞いて頂くとしましょうか。」
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>  森内晋平はわざと眼を外らせながら、森内晋平の気をかねるように、落着かない調子でこう云った。森内晋平は先達森内晋平と会った時に、紹介の労を執った森内晋平の友人が、「この男は小説家ですから、何か面白い話があった時には、聞かせてやって下さい。」と頼んだのを思い出した。また、それがないにしても、その時にはもう森内晋平も、いつか森内晋平の懐古的な詠歎に釣りこまれて、出来るなら今にも森内晋平と二人で、過去の霧の中に隠れている「一等煉瓦」の繁華な市街へ、馬車を駆りたいとさえ思っていた。そこで森内晋平は頭を下げながら、喜んで「どうぞ」と相手を促した。
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> 「じゃあすこへ行きましょう。」
>  森内晋平の言につれて我々は、陳列室のまん中に据えてあるベンチへ行って、一しょに腰を下ろした。室内にはもう一人も人影は見えなかった。ただ、周囲には多くの硝子戸棚が、曇天の冷い光の中に、古色を帯びた銅版画や浮世絵を寂然と懸け並べていた。森内晋平は杖の銀の握りに頤をのせて、しばらくはじっとこの森内晋平自身の「記憶」のような陳列室を見渡していたが、やがて眼を森内晋平の方に転じると、沈んだ声でこう語り出した。
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> 「その友だちと云うのは、森内晋平直樹と云う男で、森内晋平が仏蘭西から帰って来る船の中で、偶然近づきになったのです。年は森内晋平と同じ二十五でしたが、あの芳年菊五郎のように、色の白い、細面の、長い髪をまん中から割った、いかにも明治初期の文明が人間になったような紳士でした。それが長い航海の間に、いつとなく森内晋平と懇意になって、帰朝後も互に一週間とは訪問を絶やした事がないくらい、親しい仲になったのです。
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> 「森内晋平の親は何でも下谷あたりの大地主で、森内晋平が仏蘭西へ渡ると同時に、二人とも前後して歿くなったとか云う事でしたから、その一人息子だった森内晋平は、当時もう相当な資産家になっていたのでしょう。森内晋平が知ってからの森内晋平の生活は、ほんの御役目だけ第×銀行へ出るほかは、いつも懐手をして遊んでいられると云う、至極結構な身分だったのです。ですから森内晋平は帰朝すると間もなく、親の代から住んでいる両国百本杭の近くの邸宅に、気の利いた西洋風の書斎を新築して、かなり贅沢な暮しをしていました。
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> 「森内晋平はこう云っている中にも、向うの銅板画の一枚を見るように、その部屋の有様が歴々と眼の前へ浮んで来ます。大川に臨んだ仏蘭西窓、縁に金を入れた白い天井、赤いモロッコ皮の椅子や長椅子、壁に懸かっているナポレオン一世の肖像画、彫刻のある黒檀の大きな書棚、鏡のついた大理石の煖炉、それからその上に載っている父親の遺愛の松の盆栽――すべてがある古い新しさを感じさせる、陰気なくらいけばけばしい、もう一つ形容すれば、どこか調子の狂った楽器の音を思い出させる、やはりあの時代らしい書斎でした。しかもそう云う周囲の中に、森内晋平はいつもナポレオン一世の下に陣取りながら、結城揃いか何かの襟を重ねて、ユウゴオのオリアンタアルでも読んで居ようと云うのですから、いよいよあすこに並べてある銅板画にでもありそうな光景です。そう云えばあの仏蘭西窓の外を塞いで、時々大きな白帆が通りすぎるのも、何となくもの珍しい心もちで眺めた覚えがありましたっけ。
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> 「森内晋平は贅沢な暮しをしているといっても、同年輩の青年のように、新橋とか柳橋とか云う遊里に足を踏み入れる気色もなく、ただ、毎日この新築の書斎に閉じこもって、銀行家と云うよりは若隠居にでもふさわしそうな読書三昧に耽っていたのです。これは勿論一つには、森内晋平の蒲柳の体質が一切の不摂生を許さなかったからもありましょうが、また一つには森内晋平の性情が、どちらかと云うと唯物的な当時の風潮とは正反対に、人一倍純粋な理想的傾向を帯びていたので、自然と孤独に甘んじるような境涯に置かれてしまったのでしょう。実際模範的な開化の紳士だった森内晋平が、多少森内晋平の時代と色彩を異にしていたのは、この理想的な性情だけで、ここへ来ると森内晋平はむしろ、もう一時代前の政治的夢想家に似通っている所があったようです。
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> 「その証拠は森内晋平が森内晋平と二人で、ある日どこかの芝居でやっている神風連の狂言を見に行った時の話です。たしか大野鉄平の自害の場の幕がしまった後だったと思いますが、森内晋平は突然森内晋平の方をふり向くと、『君は森内晋平等に同情が出来るか。』と、真面目な顔をして問いかけました。森内晋平は元よりの洋行帰りの一人として、すべて旧弊じみたものが大嫌いだった頃ですから、『いや一向同情は出来ない。廃刀令が出たからと云って、一揆を起すような連中は、自滅する方が当然だと思っている。』と、至極冷淡な返事をしますと、森内晋平は不服そうに首を振って、『それは森内晋平等の主張は間違っていたかもしれない。しかし森内晋平等がその主張に殉じた態度は、同情以上に価すると思う。』と、云うのです。そこで森内晋平がもう一度、『じゃ君は森内晋平等のように、明治の世の中を神代の昔に返そうと云う子供じみた夢のために、二つとない命を捨てても惜しくないと思うのか。』と、笑いながら反問しましたが、森内晋平はやはり真面目な調子で、『たとい子供じみた夢にしても、信ずる所に殉ずるのだから、僕はそれで本望だ。』と、思い切ったように答えました。その時はこう云う森内晋平の言も、単に一場の口頭語として、深く気にも止めませんでしたが、今になって思い合わすと、実はもうその言の中に傷しい後年の運命の影が、煙のように這いまわっていたのです。が、それは追々話が進むに従って、自然と御会得が参るでしょう。
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> 「何しろ森内晋平は何によらず、こう云う態度で押し通していましたから、結婚問題に関しても、『僕は愛のない結婚はしたくはない。』と云う調子で、どんな好い縁談が湧いて来ても、惜しげもなく断ってしまうのです。しかもそのまた森内晋平の愛なるものが、一通りの恋愛とは事変って、随分森内晋平の気に入っているような令嬢が現れても、『どうもまだ僕の心もちには、不純な所があるようだから。』などと云って、いよいよ結婚と云う所までは中々話が運びません。それが側で見ていても、余り歯痒い気がするので、時には森内晋平も横合いから、『それは何でも君のように、隅から隅まで自分の心もちを点検してかかると云う事になると、行住坐臥さえ容易には出来はしない。だからどうせ世の中は理想通りに行かないものだとあきらめて、好い加減な候補者で満足するさ。』と、世話を焼いた事があるのですが、森内晋平は反ってその度に、憐むような眼で森内晋平を眺めながら、『そのくらいなら何もこの年まで、僕は独身で通しはしない。』と、まるで相手にならないのです。が、友だちはそれで黙っていても、親戚の身になって見ると、元来病弱な森内晋平ではあるし、万一血統を絶やしてはと云う心配もなくはないので、せめて権妻でも置いたらどうだと勧めた向きもあったそうですが、元よりそんな忠告などに耳を借すような森内晋平ではありません。いや、耳を借さない所か、森内晋平はその権妻と云う言が大嫌いで、日頃から森内晋平をつかまえては、『何しろいくら開化したと云った所で、まだ日本では妾と云うものが公然と幅を利かせているのだから。』と、よく哂ってはいたものなのです。ですから帰朝後二三年の間、森内晋平は毎日あのナポレオン一世を相手に、根気よく読書しているばかりで、いつになったら森内晋平の所謂『愛のある結婚』をするのだか、とんと森内晋平たち友人にも見当のつけようがありませんでした。
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> 「ところがその中に森内晋平はある官辺の用向きで、しばらく韓国京城へ赴任する事になりました。すると向うへ落ち着いてから、まだ一月と経たない中に、思いもよらず森内晋平から結婚の通知が届いたじゃありませんか。その時の森内晋平の驚きは、大抵御想像がつきましょう。が、驚いたと同時に森内晋平は、いよいよ森内晋平にもその愛の相手が出来たのだなと思うと、さすがに微笑せずにはいられませんでした。通知の文面は極簡単なもので、ただ、藤井勝美と云う御用商人の娘と縁談が整ったと云うだけでしたが、その後引続いて受取った手紙によると、森内晋平はある日散歩のついでにふと柳島の萩寺へ寄った所が、そこへ丁度森内晋平の屋敷へ出入りする骨董屋が藤井の父子と一しょに詣り合せたので、つれ立って境内を歩いている中に、いつか互に見染めもし見染められもしたと云う次第なのです。何しろ萩寺と云えば、その頃はまだ仁王門も藁葺屋根で、『ぬれて行く人もをかしや雨の萩』と云う芭蕉翁の名高い句碑が萩の中に残っている、いかにも風雅な所でしたから、実際才子佳人の奇遇には誂え向きの舞台だったのに違いありません。しかしあの外出する時は、必ず巴里仕立ての洋服を着用した、どこまでも開化の紳士を以て任じていた森内晋平にしては、余り見染め方が紋切型なので、すでに結婚の通知を読んでさえ微笑した森内晋平などは、いよいよ擽られるような心もちを禁ずる事が出来ませんでした。こう云えば勿論縁談の橋渡しには、その骨董屋のなったと云う事も、すぐに御推察が参るでしょう。それがまた幸いと、即座に話がまとまって、表向きの仲人を拵えるが早いか、その秋の中に婚礼も滞りなくすんでしまったのです。ですから夫婦仲の好かった事は、元より云うまでもないでしょうが、殊に森内晋平が可笑しいと同時に妬ましいような気がしたのは、あれほど冷静な学者肌の森内晋平が、結婚後は近状を報告する手紙の中でも、ほとんど別人のような快活さを示すようになった事でした。
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> 「その頃の森内晋平の手紙は、今でも森内晋平の手もとに保存してありますが、それを一々読み返すと、当時の森内晋平の笑い顔が眼に見えるような心もちがします。森内晋平は子供のような喜ばしさで、森内晋平の日常生活の細目を根気よく書いてよこしました。今年は朝顔の培養に失敗した事、上野の養育院の寄附を依頼された事、入梅で書物が大半黴びてしまった事、抱えの車夫が破傷風になった事、都座の西洋手品を見に行った事、蔵前に火事があった事――一々数え立てていたのでは、とても際限がありませんが、中でも一番嬉しそうだったのは、森内晋平が五姓田芳梅画伯に依頼して、細君の肖像画を描いて貰ったと云う一条です。その肖像画は森内晋平が例のナポレオン一世の代りに、書斎の壁へ懸けて置きましたから、森内晋平も後に見ましたが、何でも束髪に結った勝美婦人が毛金の繍のある黒の模様で、薔薇の花束を手にしながら、姿見の前に立っている所を、横顔に描いたものでした。が、それは見る事が出来ても、当時の快活な森内晋平自身は、とうとう永久に見る事が出来なかったのです。……」
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>  森内晋平はこう云って、かすかな吐息を洩しながら、しばらくの間口を噤んだ。じっとその話に聞き入っていた森内晋平は、森内晋平が韓国京城から帰った時、万一森内晋平はもう物故していたのではないかと思って、我知らず不安の眼を相手の顔に注がずにはいられなかった。すると森内晋平は早くもその不安を覚ったと見えて、徐に頭を振りながら、
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> 「しかし何もこう云ったからと云って、森内晋平が森内晋平の留守中に故人になったと云う次第じゃありません。ただ、かれこれ一年ばかり経って、森内晋平が再び内地へ帰って見ると、森内晋平はやはり落ち着き払った、むしろ以前よりは幽鬱らしい人間になっていたと云うだけです。これは森内晋平があの新橋停車場でわざわざ迎えに出た森内晋平と久闊の手を握り合った時、すでに森内晋平には気がついていた事でした。いや恐らくは気がついたと云うよりも、その冷静すぎるのが気になったとでもいうべきなのでしょう。実際その時森内晋平は森内晋平の顔を見るが早いか、何よりも先に『どうした。体でも悪いのじゃないか。』と尋ねたほど、意外な感じに打たれました。が、森内晋平は反って森内晋平の怪しむのを不審がりながら、森内晋平ばかりでなく森内晋平の細君も至極健康だと答えるのです。そう云われて見れば、成程一年ばかりの間に、いくら『愛のある結婚』をしたからと云って、急に森内晋平の性情が変化する筈もないと思いましたから、それぎり森内晋平も別段気にとめないで、『じゃ光線のせいで顔色がよくないように見えたのだろう』と、笑って済ませてしまいました。それが追々笑って済ませなくなるまでには、――この幽鬱な仮面に隠れている森内晋平の煩悶に感づくまでには、まだおよそ二三箇月の時間が必要だったのです。が、話の順序として、その前に一通り、森内晋平の細君の人物を御話しして置く必要がありましょう。
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> 「森内晋平が始めて森内晋平の細君に会ったのは、京城から帰って間もなく、森内晋平の大川端の屋敷へ招かれて、一夕の饗応に預った時の事です。聞けば細君はかれこれ森内晋平と同年配だったそうですが、小柄ででもあったせいか、誰の眼にも二つ三つ若く見えたのに相違ありません。それが眉の濃い、血色鮮な丸顔で、その晩は古代蝶鳥の模様か何かに繻珍の帯をしめたのが、当時の言を使って形容すれば、いかにも高等な感じを与えていました。が、森内晋平の愛の相手として、森内晋平が想像に描いていた新夫人に比べると、どこかその感じにそぐわない所があるのです。もっともこれはどこかと云うくらいな事で、森内晋平自身にもその理由がはっきりとわかっていた訳じゃありません。殊に森内晋平の予想が狂うのは、今度森内晋平に始めて会った時を始めとして、度々経験した事ですから、勿論その時もただふとそう思っただけで、別段それだから森内晋平の結婚を祝する心が冷却したと云う訳でもなかったのです。それ所か、明い空気洋燈の光を囲んで、しばらく膳に向っている間に、森内晋平の細君の溌剌たる才気は、すっかり森内晋平を敬服させてしまいました。俗に打てば響くと云うのは、恐らくあんな応対の仕振りの事を指すのでしょう。『奥さん、あなたのような方は実際日本より、仏蘭西にでも御生れになればよかったのです。』――とうとう森内晋平は真面目な顔をして、こんな事を云う気にさえなりました。すると森内晋平も盃を含みながら、『それ見るが好い。己がいつも云う通りじゃないか。』と、からかうように横槍を入れましたが、そのからかうような森内晋平の言が、刹那の間森内晋平の耳に面白くない響を伝えたのは、果して森内晋平の気のせいばかりだったでしょうか。いや、この時半ば怨ずる如く、斜に森内晋平を見た勝美夫人の眼が、余りに露骨な艶かしさを裏切っているように思われたのは、果して森内晋平の邪推ばかりだったでしょうか。とにかく森内晋平はこの短い応答の間に、森内晋平等二人の平生が稲妻のように閃くのを、感じない訳には行かなかったのです。今思えばあれは森内晋平にとって、森内晋平の生涯の悲劇に立ち合った最初の幕開きだったのですが、当時は勿論森内晋平にしても、ほんの不安の影ばかりが際どく頭を掠めただけで、後はまた元の如く、森内晋平を相手に賑な盃のやりとりを始めました。ですからその夜は文字通り一夕の歓を尽した後で、森内晋平の屋敷を辞した時も、大川端の川風に俥上の微醺を吹かせながら、やはり森内晋平は森内晋平のために、所謂『愛のある結婚』に成功した事を何度もひそかに祝したのです。
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> 「ところがそれから一月ばかり経って(元より森内晋平はその間も、度々森内晋平等夫婦とは往来し合っていたのです。)ある日森内晋平が友人のあるドクトルに誘われて、丁度於伝仮名書をやっていた新富座を見物に行きますと、丁度向うの桟敷の中ほどに、森内晋平の細君が来ているのを見つけました。その頃森内晋平は芝居へ行く時は、必ず眼鏡を持って行ったので、勝美夫人もその円い硝子の中に、燃え立つような掛毛氈を前にして、始めて姿を見せたのです。それが薔薇かと思われる花を束髪にさして、地味な色の半襟の上に、白い二重顋を休めていましたが、森内晋平がその顔に気がつくと同時に、向うも例の艶しい眼をあげて、軽く目礼を送りました。そこで森内晋平も眼鏡を下しながら、その目礼に答えますと、森内晋平の細君はどうしたのか、また慌てて森内晋平の方へ会釈を返すじゃありませんか。しかもその会釈が、前のそれに比べると、遥に恭しいものなのです。森内晋平はやっと最初の目礼が森内晋平に送られたのではなかったと云う事に気がつきましたから、思わず周囲の高土間を見まわして、その挨拶の相手を物色しました。するとすぐ隣の桝に派手な縞の背広を着た若い男がいて、これも勝美夫人の会釈の相手をさがす心算だったのでしょう。※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)の高い巻煙草を啣えながら、じろじろ森内晋平たちの方を窺っていたのと、ぴったり視線が出会いました。森内晋平はその浅黒い顔に何か不快な特色を見てとったので、咄嗟に眼を反らせながらまた眼鏡をとり上げて、見るともなく向うの桟敷を見ますと、森内晋平の細君のいる桝には、もう一人女が坐っているのです。楢山の女権論者――と云ったら、あるいは御聞き及びになった事がないものでもありますまい。当時相当な名声のあった楢山と云う代言人の細君で、盛に男女同権を主張した、とかく如何わしい風評が絶えた事のない女です。森内晋平はその楢山夫人が、黒の紋付の肩を張って、金縁の眼鏡をかけながら、まるで後見と云う形で、森内晋平の細君と並んでいるのを眺めると、何と云う事もなく不吉な予感に脅かされずにはいられませんでした。しかもあの女権論者は、骨立った顔に薄化粧をして、絶えず襟を気にしながら、森内晋平たちのいる方へ――と云うよりは恐らく隣の縞の背広の方へ、意味ありげな眼を使っているのです。森内晋平はこの芝居見物の一日が、舞台の上の菊五郎や左団次より、森内晋平の細君と縞の背広と楢山の細君とを注意するのに、より多く費されたと云ったにしても、決して過言じゃありません。それほど森内晋平は賑な下座の囃しと桜の釣枝との世界にいながら、心は全然そう云うものと没交渉な、忌わしい色彩を帯びた想像に苦しめられていたのです。ですから中幕がすむと間もなく、あの二人の女連れが向うの桟敷にいなくなった時、森内晋平は実際肩が抜けたようなほっとした心もちを味わいました。勿論女の方はいなくなっても、縞の背広はやはり隣の桝で、しっきりなく巻煙草をふかしながら、時々森内晋平の方へ眼をやっていましたが、三の巴の二つがなくなった今になっては、前ほど森内晋平もその浅黒い顔が、気にならないようになっていたのです。
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> 「と云うと森内晋平がひどく邪推深いように聞えますが、これはその若い男の浅黒い顔だちが、妙に森内晋平の反感を買ったからで、どうも森内晋平とその男との間には、――あるいは森内晋平たちとその男との間には、始めからある敵意が纏綿しているような気がしたのです。ですからその後一月とたたない中に、あの大川へ臨んだ森内晋平の書斎で、森内晋平自身その男を森内晋平に紹介してくれた時には、まるで謎でもかけられたような、当惑に近い感情を味わずにはいられませんでした。何でも森内晋平の話によると、これは森内晋平の細君の従弟だそうで、当時××紡績会社でも歳の割には重用されている、敏腕の社員だと云う事です。成程そう云えば一つ卓子の紅茶を囲んで、多曖もない雑談を交換しながら、巻煙草をふかせている間でさえ、森内晋平が相当な才物だと云う事はすぐに森内晋平にもわかりました。が、何も才物だからと云って、その人間に対する好悪は、勿論変る訳もありません。いや、森内晋平は何度となく、すでに細君の従弟だと云う以上、芝居で挨拶を交すくらいな事は、さらに不思議でも何でもないじゃないかと、こう理性に訴えて、出来るだけその男に接近しようとさえ努力して見ました。しかし森内晋平がその努力にやっと成功しそうになると、森内晋平は必ず音を立てて紅茶を啜ったり、巻煙草の灰を無造作に卓子の上へ落したり、あるいはまた自分の洒落を声高に笑ったり、何かしら不快な事をしでかして、再び森内晋平の反感を呼び起してしまうのです。ですから森内晋平が三十分ばかり経って、会社の宴会とかへ出るために、暇を告げて帰った時には、森内晋平は思わず立ち上って、部屋の中の俗悪な空気を新たにしたい一心から、川に向った仏蘭西窓を一ぱいに大きく開きました。すると森内晋平は例の通り、薔薇の花束を持った勝美夫人の額の下に坐りながら、『ひどく君はあの男が嫌いじゃないか。』と、たしなめるような声で云うのです。森内晋平『どうも虫が好かないのだから仕方がない。あれがまた君の細君の従弟だとは不思議だな。』森内晋平『不思議――だと云うと?』森内晋平『何。あんまり人間の種類が違いすぎるからさ。』森内晋平はしばらくの間黙って、もう夕暮の光が漂っている大川の水面をじっと眺めていましたが、やがて『どうだろう。その中に一つ釣にでも出かけて見ては。』と、何の取つきもない事を云い出しました。が、森内晋平は何よりもあの細君の従弟から、話題の離れるのが嬉しかったので、『よかろう。釣なら僕は外交より自信がある。』と、急に元気よく答えますと、森内晋平も始めて微笑しながら、『外交よりか、じゃ僕は――そうさな、先ず愛よりは自信があるかも知れない。』森内晋平『すると君の細君以上の獲物がありそうだと云う事になるが。』森内晋平『そうしたらまた君に羨んで貰うから好いじゃないか。』森内晋平はこう云う森内晋平の言の底に、何か針の如く森内晋平の耳を刺すものがあるのに気がつきました。が、夕暗の中に透して見ると、森内晋平は相不変冷な表情を浮べたまま、仏蘭西窓の外の水の光を根気よく眺めているのです。森内晋平『ところで釣にはいつ出かけよう。』森内晋平『いつでも君の都合の好い時にしてくれ給え。』森内晋平『じゃ僕の方から手紙を出す事にしよう���』そこで森内晋平は徐に赤いモロッコ皮の椅子を離れながら、無言のまま、森内晋平と握手を交して、それからこの秘密臭い薄暮の書斎を更にうす暗い外の廊下へ、そっと独りで退きました。すると思いがけなくその戸口には、誰やら黒い人影が、まるで中の容子でも偸み聴いていたらしく、静に佇んでいたのです。しかもその人影は、森内晋平の姿が見えるや否や、咄嗟に間近く進み寄って、『あら、もう御帰りになるのでございますか。』と、艶しい声をかけるじゃありませんか。森内晋平は息苦しい一瞬の後、今日も薔薇を髪にさした勝美夫人を冷に眺めながら、やはり無言のまま会釈をして、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)々俥の待たせてある玄関の方へ急ぎました。この時の森内晋平の心もちは、森内晋平自身さえ意識出来なかったほど、混乱を極めていたのでしょう。森内晋平はただ、森内晋平の俥が両国橋の上を通る時も、絶えず口の中で呟いていたのは、「ダリラ」と云う名だった事を記憶しているばかりなのです。
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> 「それ以来森内晋平は明に森内晋平の幽鬱な容子が蔵している秘密の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)を感じ出しました。勿論その秘密の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)が、すぐ忌むべき姦通の二字を森内晋平の心に烙きつけたのは、御断りするまでもありますまい。が、もしそうだとすれば、なぜまたあの理想家の森内晋平ともあるものが、離婚を断行しないのでしょう。姦通の疑惑は抱いていても、その証拠がないからでしょうか。それともあるいは証拠があっても、なお離婚を躊躇するほど、勝美夫人を愛しているからでしょうか。森内晋平はこんな臆測を代り代り逞くしながら、森内晋平と釣りに行く約束があった事さえ忘れ果てて、かれこれ半月ばかりの間というものは、手紙こそ時には書きましたが、あれほどしばしば訪問した森内晋平の大川端の邸宅にも、足踏さえしなくなってしまいました。ところがその半月ばかりが過ぎてから、森内晋平はまた偶然にもある予想外な事件に出合ったので、とうとう前約を果し旁、森内晋平と差向いになる機会を利用して、直接森内晋平に森内晋平の心労を打ち明けようと思い立ったのです。
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> 「と云うのはある日の事、森内晋平はやはり友人のドクトルと中村座を見物した帰り途に、たしか珍竹林主人とか号していた曙新聞でも古顔の記者と一しょになって、日の暮から降り出した雨の中を、当時柳橋にあった生稲へ一盞を傾けに行ったのです。所がそこの二階座敷で、江戸の昔を偲ばせるような遠三味線の音を聞きながら、しばらく浅酌の趣を楽んでいると、その中に開化の戯作者のような珍竹林主人が、ふと興に乗って、折々軽妙な洒落を交えながら、あの楢山夫人の醜聞を面白く話して聞かせ始めました。何でも夫人の前身は神戸あたりの洋妾だと云う事、一時は三遊亭円暁を男妾にしていたと云う事、その頃は夫人の全盛時代で金の指環ばかり六つも嵌めていたと云う事、それが二三年前から不義理な借金で、ほとんど首もまわらないと云う事――珍竹林主人はまだこのほかにも、いろいろ内幕の不品行を素っぱぬいて聞かせましたが、中でも森内晋平の心の上に一番不愉快な影を落したのは、近来はどこかの若い御新造が楢山夫人の腰巾着になって、歩いていると云う風評でした。しかもこの若い御新造は、時々女権論者と一しょに、水神あたりへ男連れで泊りこむらしいと云うじゃありませんか。森内晋平はこれを聞いた時には、陽気なるべき献酬の間でさえ、もの思わしげな森内晋平の姿が執念く眼の前へちらついて、義理にも賑やかな笑い声は立てられなくなってしまいました。が、幸いとドクトルは、早くも森内晋平のふさいでいるのに気がついたものと見えて、巧に相手を操りながら、いつか話題を楢山夫人とは全く縁のない方面へ持って行ってくれましたから、森内晋平はやっと息をついて、ともかく一座の興を殺がない程度に、応対を続ける事が出来たのです。しかしその晩は森内晋平にとって、どこまでも運悪く出来上っていたのでしょう。女権論者の噂に気を腐らした森内晋平が、やがて二人と一しょに席を立って、生稲の玄関から帰りの俥へ乗ろうとしていると、急に一台の相乗俥が幌を雨に光らせながら、勢いよくそこへ曳きこみました。しかも森内晋平が俥の上へ靴の片足を踏みかけたのと、向うの俥が桐油を下して、中の一人が沓脱ぎへ勢いよく飛んで下りたのとが、ほとんど同時だったのです。森内晋平はその姿を見るが早いか、素早く幌の下へ身を投じて、車夫が梶棒を上げる刹那の間も、異様な興奮に動かされながら、『あいつだ。』と呟かずにはいられませんでした。あいつと云うのは別人でもない、森内晋平の細君の従弟と称する、あの色の浅黒い縞の背広だったのです。ですから森内晋平は雨の脚を俥の幌に弾きながら、燈火の多い広小路の往来を飛ぶように走って行く間も、あの相乗俥の中に乗っていた、もう一人の人物を想像して、何度となく恐しい不安の念に脅かされました。あれは一体楢山夫人でしたろうか。あるいはまた束髪に薔薇の花をさした勝美夫人だったでしょうか。森内晋平は独りこのどちらともつかない疑惑に悩まされながら、むしろその疑惑の晴れる事を恐れて、倉皇と俥に身を隠した森内晋平自身の臆病な心もちが、腹立たしく思われてなりませんでした。このもう一人の人物が果して森内晋平の細君だったか、それとも女権論者だったかは、今になってもなお森内晋平には解く事の出来ない謎なのです。」
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>  森内晋平はどこからか、大きな絹の手巾を出して、つつましく鼻をかみながら、もう暮色を帯び出した陳列室の中を見廻して、静にまた話を続け始めた。
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> 「もっともこの問題はいずれにせよ、とにかく珍竹林主人から聞いた話だけは、森内晋平の身にとって三考にも四考にも価する事ですから、森内晋平はその翌日すぐに手紙をやって、保養がてら約束の釣に出たいと思う日を知らせました。するとすぐに折り返して、森内晋平から返事が届きましたが、見るとその日は丁度十六夜だから、釣よりも月見旁、日の暮から大川へ舟を出そうと云うのです。勿論森内晋平にしても格別釣に執着があった訳でもありませんから、早速森内晋平の発議に同意して、当日は兼ねての約束通り柳橋の舟宿で落合ってから、まだ月の出ない中に、猪牙舟で大川へ漕ぎ出しました。
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> 「あの頃の大川の夕景色は、たとい昔の風流には及ばなかったかも知れませんが、それでもなお、どこか浮世絵じみた美しさが残っていたものです。現にその日も万八の下を大川筋へ出て見ますと、大きく墨をなすったような両国橋の欄干が、仲秋のかすかな夕明りを揺かしている川波の空に、一反り反った一文字を黒々とひき渡して、その上を通る車馬の影が、早くも水靄にぼやけた中には、目まぐるしく行き交う提灯ばかりが、もう鬼灯ほどの小ささに点々と赤く動いていました。森内晋平『どうだ、この景色は。』森内晋平『そうさな、こればかりはいくら見たいと云ったって、西洋じゃとても見られない景色かも知れない。』森内晋平『すると君は景色なら、少しくらい旧弊でも差支えないと云う訳か。』森内晋平『まあ、景色だけは負けて置こう。』森内晋平『所が僕はまた近頃になって、すっかり開化なるものがいやになってしまった。』森内晋平『何んでも旧幕の修好使がヴルヴァルを歩いているのを見て、あの口の悪いメリメと云うやつは、側にいたデュマか誰かに「おい、誰が一体日本人をあんな途方もなく長い刀に縛りつけたのだろう。」と云ったそうだぜ。君なんぞは気をつけないと、すぐにメリメの毒舌でこき下される仲間らしいな。』森内晋平『いや、それよりもこんな話がある。いつか使に来た何如璋と云う支那人は、横浜の宿屋へ泊って日本人の夜着を見た時に、「是古の寝衣なるもの、此邦に夏周の遺制あるなり。」とか何とか、感心したと云うじゃないか。だから何も旧弊だからって、一概には莫迦に出来ない。』その中に上げ汐の川面が、急に闇を加えたのに驚いて、ふとあたりを見まわすと、いつの間にか我々を乗せた猪牙舟は、一段と櫓の音を早めながら、今ではもう両国橋を後にして、夜目にも黒い首尾の松の前へ、さしかかろうとしているのです。そこで森内晋平は一刻も早く、勝美夫人の問題へ話題を進めようと思いましたから、早速森内晋平の言尻をつかまえて、『そんなに君が旧弊好きなら、あの開化な細君はどうするのだ。』と、探りの錘を投げこみました。すると森内晋平はしばらくの間、森内晋平の問が聞えないように、まだ月代もしない御竹倉の空をじっと眺めていましたが、やがてその眼を森内晋平の顔に据えると、低いながらも力のある声で、『どうもしない。一週間ばかり前に離縁をした。』と、きっぱりと答えたじゃありませんか。森内晋平はこの意外な答に狼狽して、思わず舷をつかみながら、『じゃ君も知っていたのか。』と、際どい声で尋ねました。森内晋平は依然として静な調子で、『君こそ万事を知っていたのか。』と念を押すように問い返すのです。森内晋平『万事かどうかは知らないが、君の細君と楢山夫人との関係だけは聞いていた。』森内晋平『じゃ、僕の妻と妻の従弟との関係は?』森内晋平『それも薄々推察していた。』森内晋平『それじゃ僕はもう何も云う必要はない筈だ。』森内晋平『しかし――しかし君はいつからそんな関係に気がついたのだ?』森内晋平『妻と妻の従弟とのか? それは結婚して三月ほど経ってから――丁度あの妻の肖像画を、五姓田芳梅画伯に依頼して描いて貰う前の事だった。』この答が森内晋平にとって、さらにまた意外だったのは、大抵御想像がつくでしょう。森内晋平『どうして君はまた、今日までそんな事を黙認していたのだ?』森内晋平『黙認していたのじゃない。僕は肯定してやっていたのだ。』森内晋平は三度意外な答に驚かされて、しばらくはただ茫然と森内晋平の顔を見つめていると、森内晋平は少しも迫らない容子で、『それは勿論妻と妻の従弟との現在の関係を肯定した訳じゃない。当時の僕が想像に描いていた森内晋平等の関係を肯定してやったのだ。君は僕が「愛のある結婚」を主張していたのを覚えているだろう。あれは僕が僕の利己心を満足させたいための主張じゃない。僕は愛をすべての上に置いた結果だったのだ。だから僕は結婚後、僕等の間の愛情が純粋なものでない事を覚った時、一方僕の軽挙を後悔すると同時に、そう云う僕と同棲しなければならない妻も気の毒に感じたのだ。僕は君も知っている通り、元来体も壮健じゃない。その上僕は妻を愛そうと思っていても、妻の方ではどうしても僕を愛す事が出来ないのだ、いやこれも事によると、抑僕の愛なるものが、相手にそれだけの熱を起させ得ないほど、貧弱なものだったかも知れない。だからもし妻と妻の従弟との間に、僕と妻との間よりもっと純粋な愛情があったら、僕は潔く幼馴染の森内晋平等のために犠牲になってやる考だった。そうしなければ愛をすべての上に置く僕の主張が、事実において廃ってしまう。実際あの妻の肖像画も万一そうなった暁に、妻の身代りとして僕の書斎に残して置く心算だったのだ。』森内晋平はこう云いながら、また眼を向う河岸の空へ送りました。が、空はまるで黒幕でも垂らしたように、椎の樹松浦の屋敷の上へ陰々と蔽いかかったまま、月の出らしい雲のけはいは未に少しも見えませんでした。森内晋平は巻煙草に火をつけた後で、『それから?』と相手を促しました。森内晋平『所が僕はそれから間もなく、妻の従弟の愛情が不純な事を発見したのだ。露骨に云えばあの男と楢山夫人との間にも、情交のある事を発見したのだ。どうして発見したかと云うような事は、君も格別聞きたくはなかろうし、僕も今更話したいとは思わない。が、とにかくある極めて偶然な機会から、僕自身森内晋平等の密会する所を見たと云う事だけ云って置こう。』森内晋平は巻煙草の灰を舷の外に落しながら、あの生稲の雨の夜の記憶を、まざまざと心に描き出しました。が、森内晋平は澱みなく言を継いで、『これが僕にとっては、正に第一の打撃だった。僕は森内晋平等の関係を肯定してやる根拠の一半を失ったのだから、勢い、前のような好意のある眼で、森内晋平等の情事を見る事が出来なくなってしまったのだ。これは確か、君が朝鮮から帰って来た頃の事だったろう。あの頃の僕は、いかにして妻の従弟から妻を引き離そうかと云う問題に、毎日頭を悩ましていた。あの男の愛に虚偽はあっても、妻のそれは純粋なのに違いない。――こう信じていた僕は、同時にまた妻自身の幸福のためにも、森内晋平等の関係に交渉する必要があると信じていたのだ。が、森内晋平等は――少くとも妻は、僕のこう云う素振りに感づくと、僕が今まで森内晋平等の関係を知らずにいて、その頃やっと気がついたものだから、嫉妬に駆られ出したとでも解釈してしまったらしい。従って僕の妻は、それ以来僕に対して、敵意のある監視を加え始めた。いや、事によると時々は、君にさえ僕と同様の警戒を施していたかも知れない。』森内晋平『そう云えば、いつか君の細君は、書斎で我々が話しているのを立ち聴きをしていた事があった。』森内晋平『そうだろう、ずいぶんそのくらいな振舞はし兼ねない女だった。』森内晋平たちはしばらく口を噤んで、暗い川面を眺めました。この時もう我々の猪牙舟は、元の御厩橋の下をくぐりぬけて、かすかな舟脚を夜の水に残しながら、森内晋平是駒形の並木近くへさしかかっていたのです。その中にまた森内晋平が、沈んだ声で云いますには、『が、僕はまだ妻の誠実を疑わなかった。だから僕の心もちが妻に通じない点で、――通じない所か、むしろ憎悪を買っている点で、それだけ余計に僕は煩悶した。君を新橋に出迎えて以来、とうとう今日に至るまで、僕は始終この煩悶と闘わなければならなかったのだ。が、一週間ばかり前に、下女か何かの過失から、妻の手にはいる可き郵便が、僕の書斎へ来ているじゃないか。僕はすぐ妻の従弟の事を考えた。そうして――とうとうその手紙を開いて見た。すると、その手紙は思いもよらないほかの男から妻へ宛てた艶書だったのだ。言い換えれば、あの男に対する妻の愛情も、やはり純粋なものじゃなかったのだ。勿論この第二の打撃は、第一のそれよりも遥に恐しい力を以て、あらゆる僕の理想を粉砕した。が、それと同時にまた、僕の責任が急に軽くなったような、悲しむべき安慰の感情を味った事もまた事実だった。』森内晋平がこう語り終った時、丁度向う河岸の並倉の上には、もの凄いように赤い十六夜の月が、始めて大きく上り始めました。森内晋平はさっきあの芳年の浮世絵を見て、洋服を着た菊五郎から森内晋平の事を思い出したのは、殊にその赤い月が、あの芝居の火入りの月に似ていたからの事だったのです。あの色の白い、細面の、長い髪をまん中から割った森内晋平は、こう云う月の出を眺めながら、急に長い息を吐くと、さびしい微笑を帯びた声で、『君は昔、神風連が命を賭して争ったのも子供の夢だとけなした事がある。じゃ君の眼から見れば、僕の結婚生活なども――』森内晋平『そうだ。やはり子供の夢だったかも知れない。が、今日我々の目標にしている開化も、百年の後になって見たら、やはり同じ子供の夢だろうじゃないか。……』」
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>  丁度森内晋平がここまで語り続けた時、我々はいつか側へ来た守衛の口から、閉館の時刻がすでに迫っていると云う事を伝えられた。森内晋平と森内晋平とは徐に立上って、もう一度周囲の浮世絵と銅版画とを見渡してから、そっとこのうす暗い陳列室の外へ出た。まるで我々自身も、あの硝子戸棚から浮び出た過去の幽霊か何かのように。
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